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東京地方裁判所 昭和37年(刑わ)6277号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

(公訴事実)

本件公訴事実は次のとおりである。

被告人は、昭和三七年一一月二五日午後一〇一五分ごろ、東京都台東区浅草山谷四丁目一番地先車道上に氏名不詳の男(年齢三〇才位)が立ちどまり、群衆犯罪発生に備え警戒取締中の警察官及び同所附近の群衆約五〇名に向い、「ポリ公帰れ、やつちまえ、わつしよい、わつしよい」と大声にてどなり騒ぎ立てているのを、警視庁浅草警察署勤務巡査佐藤力が現認し、前同所において、右氏名不詳の男を道路交通法違反及び軽犯罪法違反の現行犯人として逮捕しようとし同人の片腕をつかんだ際、被告人は外数名の者と共謀の上、同人に逮捕を免れさせるため、同人の他方の腕等をつかんで引張り同巡査から引き放し、右暴行により同人をその場から逃走させ、もつて同巡査の職務の執行を妨害したものである。

(本事件の情況)

当公判廷において取り調べた証拠を総合すると、次の事実が認められる。

昭和三七年一一月二三日午後六時ごろ、東京都台東区浅草山谷四丁目三番地あさひ食堂において、客の一労働者が女店員に水をかけたことで従業員が右の客を殴打したところ、警察官が右の客を連行したというようなことから騒ぎが起き、興奮した群集が同食堂のガラスその他の器物を損壊したり、附近の浅草警察署山谷警部補派出所(いわゆるマンモス交番)に押しかけたりした。翌二四日にもその附近に群集が集まり、マンモス交番に抗議するなどした。警察は連日警視庁機動隊を派出して警備鎮圧にあたり、四十余名の逮捕者を出した。

この山谷を中心として簡易旅館が立ち並び、いわゆるドヤ街を形成しており、そこにはなかば定住する者が多く、その大部分は日雇労働者であり(証人林哲夫の当公判廷における供述の引用する昭和三八年七月一〇日付東京都社会福祉審議会の「東京都における不良環境地区に対する福祉対策に関する答申案」によると、山谷地区に居住する者は推定約三万八千人であり、その約四六パーセントは二〇才から四〇才までの青壮年であり、しかもその大部分が独身者である)東京都内外の土木建築工事、港湾荷役等の重要な労働力の供給源となつている。これらの労働者は、劣悪な居住環境におかれ、重労働に従事しているにもかかわらず、得た賃銀の大半を宿泊料と飲食費についやさざるを得ず、社会保険の適用もほとんど受けていないので、将来に希望のもてないその日暮しの生活を送つている。生活に窮して売血に頼り、健康をそこなう者も少なくない。

こういう生活環境におかれているため、山谷の労働者は、大企業、手配師(ヤミ労働市場における職業周旋者)、旅館及び食堂の経営者等から搾取されているという感情を自然に抱き、またこれらの者と結び付いているとかれらが考えている警察に対しても不信の念を持つている。その他諸種の欲求不満、一般社会から差別視されているという劣等感等も加わり、かれらの間には無意識的に不満感情がウツ積している。前記の事件も山谷の労働者のこのような感情の爆発した結果と考えられる。

続く同月二五日夕刻にも山谷四丁目一番地マンモス交番前路上に群集が集まつたが、警察官によつて次第に解散させられ、午後一〇時ごろには、同交番の向い側の歩道上に、同所にある亀屋食堂前から下総屋食堂前附近にわたつて約五〇名の者がたむろしていた(以下これを群集と呼ぶ)。当時機動隊は大部分引きあげていたが、なお交番前歩道上に警察官約二〇名が立つて警備にあたつていたほか、約六〇名の警察官が附近で待機していた。右交番前の道路は幅約二二・二メートルで両側が幅約二・七メートルの歩道になつており、中央に都営電車の軌道が敷設されている。

右群集の大部分は山谷に居住する労働者と推認されるが、その中の何人かが散発的に「ポリ公帰れ」などと叫んでいた。これは警察官の引きあげを要望する感情のあらわれであるが、この群集は争議中の労働組合員のように団結心、闘争心が旺盛なものではなく、なかばヤジ馬気分の者も多かつたと思われる。当日はもはや暴力行為に出る者はなかつた。

被告人は肩書き住居に居住し、当時出版社に勤務していた者で、山谷居住者ではないが、以前に山谷に居住したことがあり、山谷居住者の生活と感情に理解を有する者で、当日山谷に知人を訪ねて来た機会に、マンモス交番前の様子を見物していたのであるが、そのうち前記群集の中にはいり、右交番のほぼ正面に当たる位置で歩道の縁石の近くに交番の方を向いて立つていた。

(被告人の行為)

被告人の当公判廷における供述、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、証人佐藤力及び同鈴木秀範の当公判廷における各供述並びに当裁判所の検証調書を総合すると、次の事実を認めることができる。同日(昭和三七年一一月二五日)午後一〇時一五分ごろ、被告人の左わきに立つていた一人の労働者風の男(以下氏名不詳者という)が車道上縁石線から約一メートル半の所に出て群集の方に向かい「ポリ公帰れ」などと叫んで音頭を取りはじめた。向い側の交番前歩道上でこれを見た警戒勤務中の同派出所勤務警視庁巡査佐藤力(大正一二年七月二二日生)は、かたわらで同様勤務中の同派出所勤務警視庁警部補鈴木秀範の命令により右氏名不詳者を逮捕しようとして、急ぎ足で道路を横切り同人に背後から近づいた。鈴木警部補もこれに続いて同人の逮捕に向かい、さらに五、六名の警察官がこれに続いた。被告人はこれを見て氏名不詳者が逮捕されると直感し、とつさに同人を逮捕からのがれさせようと考えて歩道から飛び出し、佐藤巡査が氏名不詳者の右腕をつかんだ瞬間、氏名不詳者の身体に手をかけて引いたところ、氏名不詳者は佐藤巡査の手からのがれてしまい、即時被告人が佐藤巡査につかまえられた。

被告人が氏名不詳者の身体に手をかけた時期について争いがある。検察官は、佐藤巡査が氏名不詳者の右腕をつかまえたとき、被告人が出て来て氏名不詳者と佐藤巡査との間に割り込むようにして氏名不詳者の右腕を無理に引張つたと主張し、弁護人は、氏名不詳者に被告人が触れたのは佐藤巡査が氏名不詳者を逮捕する以前であると主張する。被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書中の記載は、この点について明確でない。被告人は当公判廷では、被告人が飛び出したときは氏名不詳者はまだつかまてついなかつたが、飛び出してからは非常に瞬間的な出来ごとで、氏名不詳者に触れたとき警察官がつかまえていたかどうか明確でない旨述べている。一方証人佐藤力は、氏名不詳者をつかまえたところ、被告人が前方の右から来て氏名不詳者の腕を無理に引き離した旨、検察官の主張にほぼ沿つた供述をしているが、また被告人が出て来たのは証人が腕をつかまえたとたんであると述べており、証人鈴木秀範も佐藤巡査が氏名不詳者を逮捕してから被告人が飛び出すまで時間的な余裕はなかつたと述べている。以上の供述に(一)被告人は氏名不詳者の直前で数名の警察官が道路の向う側から走つて来るのを見ていたことが明らかであるから、遅くとも佐藤巡査が氏名不詳者まで三、四メートルに接近するまでには、警察官が氏名不詳者を逮捕しに来たものであることを察知したと推認されること、(二)佐藤巡査にすぐ続いて逮捕に向かつたことが認められる鈴木警部補が氏名不詳者をつかまえないうちに同人が逃げてしまつたこと、を合わせて考えると、被告人の供述は信用すべきものであり、(この供述によつても厳密な時間的先後は明確でないが)佐藤巡査と被告人とが氏名不詳者に手をかけたのはほとんど同時であると認められる。

次に、被告人が氏名不詳者の身体のどの部位に手をかけたかについても疑問がある。証人佐藤力の供述によれば、被告人は同巡査から見て右前方から出て来て割り込むようにして氏名不詳者の右腕を引張つたというのであり、証人鈴木秀範の供述もこれに符合するので、一応これが正しいようであるが(検察官の意見もこれに従つている)、被告人は瞬間的なことでどの部分に触れたか記憶がないと述べており、検証調書中の被告人の指示によると被告人は佐藤巡査から見てむしろ左前方から飛び出したことになり、氏名不詳者の右腕をつかむということはやや不自然であるから、あるいは公訴事実記載のように他方の腕すなわち左腕をつかんだのかも知れない。どちらとも断定できないし、それ以外の部位に手をかけたのかも知れないので、具体的な部位は認定しない。

そこで、被告人の行為が「暴行」にあたるかどうかを判断するため、これを被告人の意思及び動作の面からさらに細かく検討する。

被告人は一貫して氏名不詳者を逃がしてやりたいと思つてやつた旨供述している。当公判廷ではその気持をさらに説明して「本人(氏名不詳者)が逮捕されなければならん理由がないわけです。むしろ僕は警官が来ることが危険なような感じがしたのです。たとえば汽車がバク進して来ている。そこに一人の赤ん坊なら赤ん坊がいると非常に危いわけです。ひかれる危険がある。とつさにそれを引き戻すという感じだつたのです。そういう観点から助けなければならないということで飛び出したわけです」と述べている。被告人は前記のように山谷居住者の生活と感情に理解を有していた者であり、またその供述によれば前々日から山谷で起きていた事件に関心をもつていたこと、群集の「ポリ公帰れ」という叫びに共鳴していたことが認められる。そして、氏名不詳者の前記行動が形式的に道路交通法等の罰則に触れるとしても、一般人の社会常識としては、その程度のことで即座にこれを逮捕抑留することは行きすぎであり、群集鎮圧を目的とする逮捕権の濫用だと考えるであろうから、まして前記のような生活環境におかれ、警察に対し不信の念を抱いている山谷の労働者や前記のような心情をもつ被告人が、右の逮捕を不当とし逮捕されることを災難と考え、氏名不詳者に同情するのは当然である。そうして見ると被告人の前記供述は当時の真情を卒直に述べた信用すべきものであり、被告人は車にひかれそうな状態にある赤ん坊を助けるのにも似た救助の意思で本件行為に及んだものと認められる。これは人間的な感情であつて、暴行の意思とは全く異なつたものである。

もつとも、理屈の上では、暴行を手段として氏名不詳者を救助する意思ということも考えられる。けれども、前掲証拠のほか、証人梶大介、同池田みち子の供述を総合して推認されるところでは、当時の雰囲気は群集が暴力を行使してまで警察官に抵抗するという状態ではなかつた。群集は離れた所から叫んでいるだけで、警察官が近づいて来れば抗抵するどころか退散したであろう。被告人は群集に共鳴していたといつても、結局のところ一見物人にすぎない。警察官に暴行を加えて逮捕されるというつまらぬ犠牲まで払つて見知らぬ他人を救助するほどの旺盛な抵抗精神をもつていたとは考えられない。一番先に飛び出したというのも、たまたま氏名不詳者が被告人のすぐ近くにいたからであろう(司法警察員に対する供述調書参照)。そうして見ると、被告人が繰返し述べている「引き戻そうとした」という言葉は、氏名不詳者が警察官につかまる前に同人を歩道上に引き戻そうとする意思で引張つたという意味に解すべきである。実際、被告人がもう一、二秒早く飛び出していればその意思のとおりになつたであろうから、公務執行妨害罪などは問題にならなかつたはずである。

しかし、客観的には、被告人が氏名不詳者の身体に触れると同時に佐藤巡査も同人の右腕をつかんだので、同巡査からいえば引き離される結果となつた。けれども、

第一に、被告人が佐藤巡査に対し直接に殴打したり体当りしたりその他暴行を加えていないことはもちろん、自己が逮捕されるまで同巡査の身体に接触していないことは証人佐藤力の供述によつて明らかである。

第二に、氏名不詳者は果たして被告人によつて、すなわち被告人の有形力の行使によつて引き離されたのであろうか。なるほど証人佐藤力は「つかまえた男の腕を無理に引張つて逃がされた」「ぐつと引張つてもぎ取られた」「私はちよつと前の方によろめいた」などと、証人鈴木秀範は「被告人が引張るようにして持つて行つた」などと供述し、被告人も「その男をこちらに引き戻そうとしたがその間に警官と一緒にもつれてしまつた。その瞬間に僕はぱつとおまわりから両手を握られて逮捕された」などと述べている。しかしながら、氏名不詳者は持つて行かれるような単なる物体ではなく、生きた人間である。同人は、佐藤巡査に背後から腕をつかまれる寸前まで逮捕されることに気づかなかつたと認められる(気づいていたらもつと早く逃げ出したはずである)。不意に腕をつかまれて(あるいは被告人に手をかけられて感づいて)同人は当然あわてて佐藤巡査の手をふり切つて逃げようとしたものと考えなければならない。従つて、その腕が佐藤巡査の手から離れたのが、被告人の力によるものとは断定できないのである。しかも、被告人は氏名不詳者の前方から出て来て同人の身体を手前に引いたのであり、被告人の供述によればその際体当りのようなかつこうになつたと思うというのであるから、同人の身体のどの部分をつかんだにせよ、これを引く力がそれほど強かつたとは考えられない。それ故、被告人の行為は、氏名不詳者の逃走に対して、単に心理的な激励の役割りを果たしたにすぎないのではないかと考える余地がある。しかし、それだけにとどまらず、被告人の用いた有形力が佐藤巡査の身体に対して幾分でも作用したとしても、前記認定の被告人の意思と一体をなすものとしてその動作を観察すれば、その有形力は何ら佐藤巡査に向けられたものではなく、もつぱら氏名不詳者を引き戻すために用いられたものだといわなければならない。

(共謀の点について)

証人佐藤力、同鈴木秀範の各供述によれば、被告人に続いて群集の中から四、五名の者が車道上に飛び出したことが認められる。公訴事実に「外数名の者と共謀の上」というのは、これらの者と共謀したという趣旨と思われるが、これらの者が佐藤巡査に対し暴行を加えた事実は全く認められない。そして、被告人の供述によれば、被告人はこれらの者が車道に飛び出したことにさえ気がつかなかつたと認められる。また被告人が周囲で「逃げろ」というような声の出たのを聞いたことは認められるが、誰がそう言つたのか不明であるし、その事実があつたからといつて公務執行妨害を共謀したものといえないことはもちろんである。その他被告人が警察官に暴行を加えることを他人と謀議し、又はその意思を通じたことは何ら認められない。

(法律上の判断)

刑法第九五条第一項の定める公務執行妨害罪における暴行とは、公務員に対する有形力の行使をいう。もつともその有形力は公務員の身体に対して直接に加えられることを要せず、間接的なものでもよいというのが判例、通説である。ただし、この間接的暴行の意義は必ずしも明らかでない。公務員が押収した物件をその面前で投げ捨てる行為を公務執行妨害とした判例(最高裁判所昭和二六年三月二〇日判決、判例集五巻五号七九四頁等)が例に引かれるが、この種の判例は本件事案に適切でない。警察官が被疑者を取調べ中、第三者が右被疑者の手をつかんで室外に引き出そうとした行為を公務執行妨害とした判例(大審院明治四二年六月一〇日判決、判決録一五輯七五五頁)があるが、同判決を読めば、警察官が右第三者の行為を抑止しようとして「互いに抗争した」事実を認めた上でこれを警察官の身体に対する暴行と解していることが明らかである。しかも右の判決は「暴行とは、公務員の身体に対し直接たると間接たるを問わず不法に攻撃を加えることをいう」と言つて、その間接的な場合にも攻撃が結局は公務員の身体に対するものでなければならないことを明らかにしているのであつて、当裁判所もこの見解に従うものである。大正三年三月二三日の大審院判決(判例体系刑法各則(一)七五頁による)は、全く同一の見解に立つて、類似の事案につき、被疑者の腕を握つて戸外に引き出そうとして警察官の取調べを一時中止させたというだけでは警察官に対し暴行を加えたことにならないと判断しているのであつて、これによれば、被疑者を引張ろうとする有形力は、直ちに警察官の身体に対して向けられたものと解することはできないというべきである。

前記認定によると、被告人は氏名不詳者を逮捕からのがれさせる意思で、佐藤巡査が氏名不詳者の右腕をつかんだ瞬間、氏名不詳者の身体に手をかけて引いたのであるが、被告人には何ら佐藤巡査に対する暴行の意思がなく、かつ、その行使した有形力が佐藤巡査の身体に作用したことが断定できず、かりにそれが幾分作用したとしても右有形力はもつぱら氏名不詳者を救助する意思で用いられたものであつて、佐藤巡査の身体に対し向けられたものではないから、被告人の行為は佐藤巡査に対する直接的暴行でないのみならず、間接的暴行ということもできない。そうである以上、前記公務執行妨害の公訴事実は認めることができない。共謀共同正犯の成立の認められないことは前記認定の事実から明らかである。

従つて、本件公訴事実については犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。(小野慶二)

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